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小池夫先生を偲ぶ

田中享二(東京工業大学名誉教授)

テキスト ボックス: 撮影  笠松雅弘 2022年6月18日、小池夫先生が逝去されました。建築防水研究にすべてをささげた90年の生涯でした。先生が東京工業大学に赴任されたのは1970年のことです。東京大学で修士課程を終えられ、一時民間会社に席をおかれましたが、すぐに建設省研究所の研究員となられました。1963年からの北海道大学工学部建築工学科の助教授として7年ほどの勤務の後、東京工業大学工業材料研究所に助教授として赴任され、1992年の退官まで研究と教育にまい進されました。退官の時、いろいろ職場を移動したが東京工業大学が一番長く、そして一番楽しかったよと述懐されていましたが、その間の22年間を思い出されていたのかもしれません。

 やられた仕事は膨大で、どれをとっても優れたものばかりですが、中でも重要と私が考えるのは、下地のひび割れ部での防水層破断現象の解明と、そして対処する考え方の提示であると思います。今でこそ下地ひび割れの繰り返しにより防水層が破断することは、よく知られるようになっていますが、その事象を最初に見出し、それに耐えうる防水層の理論を、世界に先駆けて提示したのです。それまで経験的にしか設計、施工されていなかった防水の技術を、一気に工学のレベルにまで引き上げたのです。当然この仕事は国際的にも認められ、研究者としての不動の地位を築かれたのです。

 ですから小池先生の研究に対する姿勢は徹底してオリジナリティ重視でありました。「大学の研究は、暗闇に一点の光の孔をあけることである。」そして「孔を大きくするのはもう大学の仕事ではないよ。」とよく言われていました。ですから研究に使う装置も一般には存在しないものばかりでした。研究所にはマシンショップが併設されており、専門の技術者がいて装置の設計・製作をサポートしてくれることもあり、オリジナルを貫きとおすには最高の環境でした。

 一方で優しい先生でもありました。特に学生さんには本当に優しかったと思います。というよりはいつも仲間という感覚で接していました。研究室では何かにつけてお酒を飲む機会は多かったのですが、先生が最初に封を切った酒類は(最初に封を切る、これだけは絶対譲らなかった)、いつでも先生の酒蔵から勝手に取り出して飲んでもOKでした。ですから学生さんも、先生をおだてて高級なお酒の封を切らせるのに腐心していて、むしろそれを先生は心から楽しまれていました。そのせいもあり研究室は和気あいあいとしており、その居心地の良さを目的に、他研究室の学生さんも頻繁に出入りしていました。

 これは先生と交流のあった方すべてがもつ思いであると思います。だから天国でも「大変だったけれども楽しかったな」と云われているような気がします。先生を失った悲しみの中にも、ある種のおだやかさを感じるのはそのせいなのかもしれません。

 長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。