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和田章先生の日本建築学会大賞受賞

坂田弘安(昭和58年卒/東京工業大学教授)

 和田章先生が、「耐震建築の構造デザインに関する研究・開発および国際活動への貢献」で2019年の日本建築学会大賞を受賞されました。和田先生は、1995年に日本建築学会賞(論文)を受賞、2003年に日本建築学会賞(技術)を共同受賞していますので、日本建築学会関連だけでも、これで3つめの、そして建築界では最高の栄誉を受けられたことになります。和田先生の長年のご研鑽の積み重ねが日本建築学会から大きく認められたことを、卒業生として大変に喜ばしく感じています。

 和田先生は、1968年に東京工業大学理工学部建築学科を卒業、1970年に東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻を修了されたあと、日建設計に入社されました。1981年に工学博士の学位を取得され、1982年に東京工業大学助教授として母校に戻られました。

 和田先生の功績を大きく三つにまとめてご紹介します。第一の功績としては、我が国における動的耐震設計、特に離散的数値解析手法の黎明期を牽引された点が挙げられます。和田先生が修士過程を修了された1970年は霞が関ビル竣工の2年後で、超高層ビルの動的数値解析手法の一般化が急速に進展した時代でした。和田先生は日建設計に入社後、コンピュータを用いた構造解析、超高層建築の構造設計、これに関係する多くの数値解析および構造実験に関わり、得られた知見を論文や教科書等として発表されました。この成果により1981年9月に東京工業大学から工学博士を受け、翌年1月に助教授として本学に戻られました。学位論文の骨格となったFEM(有限要素法)による筋かい付骨組の弾塑性繰返し挙動の解析は非常に注目され、これら一連の成果により、1995年に日本建築学会賞(論文) 「建築構造物の非線形挙動の解明とその応用に関する一連の研究」を受賞されました。また、1987年には、当時まだ実施設計への応用が困難であった三次元立体解析による東京工業大学百年記念館の構造設計に携わられております。

 第二の功績としては、1980年代後半より実用化が模索されてきた免震・制振構造の具現化および構造設計コンセプトを確立された点が挙げられます。それ以前の我が国の耐震設計は極稀に遭遇する大地震に対し損傷を許容し、人命を守っても財産や事業継続性を保証することができませんでした。和田先生は免震構造の黎明期における積層ゴム支承の数値解析モデル(MSSモデル)の提案や代表的な鋼材制振部材(座屈拘束ブレース)の研究開発等を通じて技術の具現化に尽力するとともに、これらの免震・制振部材に地震エネルギーを集中させ、大地震後の建物の財産保全、継続使用を可能とする「損傷制御設計」の概念を発表し、展開されました。この構造形式および設計思想は1995年の阪神・淡路大震災を契機として一般化し、現在の我が国の免震・制振構造の広い普及のきっかけとなっております。この業績「建築物の損傷制御構造の研究・開発・実現」により、2003年に日本建築学会賞(技術)を3名の共同で受賞されております。

 和田先生は、2011年の大学退職までの30年の間に、多くの研究者・大学院生と共に、修士論文83、博士論文27の耐震構造・耐風構造に関する研究を進めるなど多大な業績を上げ、多くの優秀な研究者、大活躍の構造設計者を輩出しておられます。この時期の建築構造設計への取り組みとしては、阪神・淡路大震災で多く見られた特定層損傷集中を回避するための心棒構造の提案および大学建物への適用等が挙げられます。これらの成果は、我が国の多くの耐震建築の新しいデザインに応用されるだけでなく、米国、中国、台湾、インド、インドネシア、トルコ、イタリア、ルーマニアなどに耐震建築の新しいデザインの潮流として広がっております。上記の業績により、2011年にCTBUH(Council on Tall Buildings and Urban Habitat)から、シカゴで活躍した構造設計者ファズラー・カーンの名前を冠したメダルを授与されており、和田先生の新しい耐震建築への取組が世界に認められていることがわかります。

 第三の功績としては、2011年に日本建築学会第52代会長に就任する前後から進められてきた構造設計者倫理に関する活動、および総合的防災対策に関する活動が挙げられます。おりしもこの時期は2005年の構造計算書偽装問題による構造設計者の資格の見直し、2011年の東日本大震災による津波を含む総合被害などが発生し、我が国の建築界を大きく揺るがした時期でした。日本建築学会会長(2011 -2013年)、日本免震構造協会会長(2014年-)、日本学術会議会員(2011-2016年)、同連携会員(2005-2011年、2016年-現在)としてこれらの課題に真摯に向き合い、具体的な提言活動を展開してこられました。特に2011年の東日本大震災における原子力発電所の大事故は、そのリスク管理が一専門分野の対応を超えることから、和田先生は総合的防災対策の推進に学会の垣根を越えた連携活動が必要であることを強く訴え、日本学術会議、土木学会、日本建築学会とともに、現在では57学会に広がった防災学術連携体の創設に尽力されています。

 以上のように、和田先生は日本建築学会だけでなく日本学術会議、国際学協会を通して、耐震建築の新しいデザインの具現化から防災・減災にわたる広い活動を強く推進・牽引してこられました。これらの貢献と功績が評価され、今回の日本建築学会大賞の受賞にいたりました。

 和田先生は、まだ現役です。建築のあるべき姿を訴えながら、国内はもとより、世界中を飛び回っておられます。そろそろ悠々自適でもよろしいのではと傍目には感じますが、生涯現役を貫かれる和田先生の姿勢に日々刺激を頂いております。

1967年12月卒業論文発表会