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青木志郎先生の逝去を悼む

糸長浩司(昭和57年修士修了/日本大学特任教授)

 東京工業大学名誉教授青木志郎先生が2017年12月27日に94歳で逝去されました。御葬儀でのお顔は穏やかで、日本各地や中国の農村現場で楽しく人々と会話をされていた笑顔を思い出します。

 先生は長野県塩尻市の出身で、1948年に東京工業大学建築学科の助手を務めた後、東北大学農学部に新設された生活科学科に講師として赴任され、建築計画学に「生活科学」の視点を組み込んだ農村計画学の基礎を構築されました。その後、東京工業大学工業教員養成所助教授、1968年東京工業大学の教授になられ学際的・社会貢献的研究と教育に貢献され、1984年日本大学農獣医学部教授として、45年間にわたり大学での教育研究活動で、数多くの研究者、教育者、実践者を育成されました。学際的な農村計画学の創造に貢献され、日本建築学会副会長、農村計画学会会長を歴任されました。内閣農政審議会専門委員、農林水産省「豊かなむらづくり」審査委員等を歴任され、それらの功績で2001年に勲三等旭日中綬章を授与されました。

 1980年代からは中国の伝統農村の保全や農村計画の発展に貢献され、特に黄河流域の地下住居(ヤオトン)研究では茶谷正洋先生(東京工業大学名誉教授)のグループと尽力され、大学退職後も何度も中国を訪れ、中国天津城市建設学院名誉教授、同濟大学顧問教授として活躍され、中国と日本の研究交流の礎を築かれました。

 先生は民主主義をこよなく愛し、「農民のために」「愛のある計画を」「むらづくりはドラマづくりであり、その主役は住民である」「社会計画・経済計画・物財計画の三位一体」など、多くの農村計画の哲学と方法、そして住民参加の村づくりの魂を、研究者、行政職員、首長の人達に教授されました。現場と、生活者の視点を大切にし行動されてきた先生の理念と手法は、今日、益々重要となっています。先生が研究室の弟子たちとともに手掛けた農村計画は、山形県飯豊町、長野県塩尻市、新潟県亀田郷など数多くあり、行政と協働した住民参加のモデル的な農村計画の実践場を構築されました。1972年に町民120人と専門家の協働で作成された「手づくりのまち飯豊町総合計画」は、全国の地域づくりのバイブルとなっています。先生が尽力された人材育成の場としての飯豊町立農村計画研究所の再興が町の方針となり、2018年6月に飯豊町は「SDGs未来都市」に内閣府から選定され、今までの住民参加の地域づくりは継承され、今日的な地球環境課題解決のモデル自治体としても高く評価されてきています。

 東工大講堂で、先生の親友の名映画監督鈴木清順作の「ツィゴイネルワイゼン」を上映し監督との対談、先生の故郷の塩尻市小野集落の御柱祭の舞台で、研究室の素人芝居座を立ち上げた時の先生の堂々した口上等、ユニークな文化活動をされ、大きな刺激を受けました。愛された中国の農村計画では、教え子の同濟大学李教授と農民とのワークショップの陣頭指揮を明るく執っていたことを思い出します。

 衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。