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冬夏会前会長・藤本盛久先生の逝去を悼む

橋本篤秀(昭和39年卒/千葉工業大学名誉教授)

 建築界の広くで活躍される会員を擁する本会ならではの重責の認識のもと、昭和30年以来40余年にわたり本会会長はじめ多面的に本会の発展にご尽力なされました顧問の東京工業大学名誉教授藤本盛久先生におかれましては平成28年1月8日安らかに92歳の天寿を全うなされ菩提寺で眠りに就かれました。

  先生は敗戦のショック冷めやらぬ昭和20年10月待望久しく再開した旧制の東京工業大学建築学科に復学し卒業後母校に任官し、二見秀雄先生の講座で助手、助教授、教授、工学部長を務められ昭和59年3月に定年退職と同時に招かれて神奈川大学で教授、学長、評議員、理事長の要職に就かれ大学社会で研究教育、大学運営を務められました。

  大学にありましては当時黎明期にあった鉄骨構造の発展を展望した広範な学際的、基盤的、先駆的研究を精力的に進められました。研究に対して求める厳しさは寸分の緩みも許さぬものでした、一方教育においては単に知識理論の伝授に留まらぬ、科学技術を学ぶ姿勢や先人の研究を知る意義を説くその情熱と滲み出るお人柄をして人を育てるものでした。その面持ち、口調は何時も穏やかでしたが、柔和な目には何物も射抜くが如き揺るぎなさ、厳しさを秘め欺き難いものでした。この薫陶を身近に受けた若者は今、各所で指導的立場で活躍しています。

  他方、学外におかれましては日本建築学会副会長はじめ日本学術会議会員、文部省、建設省、通商産業省などの行政機関や鋼構造協会副会長、鋼材倶楽部等関連団体、協会等の各種委員会委員長・理事、などの要職に就き卓越した識見を持って国内外で建築鋼構造学、建築技術の健全な発展の促進、普及に重責を果たされました。

  折しも、先生が教授に昇任された直後の昭和39年の東京オリンピックや超高層ビルの竣工を契機に、鉄骨建築は技術指導書類や社会環境整備が不十分なまま材料工法等が劇的に変革し中小ビルにも普及する急膨張の時代を迎えました。此の潮流に対し、建築学会や関連団体を横断的に主導して設計から竣工までの一連の規基準類、指導書類の整備普及を図るとともに根幹である建築構造専用鋼材のJIS規格制定と鉄骨製作工場を能力別に類別する制度を実施しました。これらが今日隆盛極める健全な鉄骨建築の原点となっています。

  終生変わらぬ先生の信条は「工学は原理真理の究明に留まらず実務に益するものとすべし、されど科学と科学技術が如何に進歩しても人智は自然を超えることはあり得ないもの、いつも畏怖し謙虚で居なければならない」とするものでした。

  これら豊かな知見と情熱に裏打ちされた真摯な研究教育活動、社会貢献の証は勲二等瑞宝章の叙勲はじめ日本建築学会賞(論文賞)、建築学会大賞、日本鉄鋼連盟の浅田賞、鋼構造協会賞受賞などを以て顕彰されております。

  語りつくせぬ業績の一つ一つに滲む先生の構造工学に対する深い思いとご遺徳に改めて敬意の念を捧げ、謹んで衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌