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内藤昌先生を悼む

仙田満(昭和39年卒/本学名誉教授)

 内藤昌先生が2012年10月23日に永眠された。2007年に愛知産業大学を定年退職された1か月後に脳梗塞で倒れられ、闘病を続けられてこられたが、老衰にて他界された。満80歳であった。

  先生は1932年10月8日に長野県に生まれ、1955年に東京工業大学を卒業し、藤岡通夫先生の研究室に入り、東工大に創設された博士課程に最初の学生として1960年に修了された。学位論文は「書院造における間の建築的研究」である。助手を2年間勤められた後、1963年に名古屋工業大学助教授に、1972年に教授に就任し、研究教育活動を巾広く展開された。

  先生の名前を日本の建築界に広めたのは、鹿島出版会よりSD選書として1966年に出された著書『江戸と江戸城』である。分析に基づいた解説と図版はとても説得力があった。特にらせん状に江戸の都市空間を読み解いたのは、建築家、建築研究者だけでなく、一般的にも高く評価された。

  内藤先生の研究は1975年に日本建築学会賞を受賞された『「間」に関する一連の研究』をはじめ、近世初期の大工棟梁が著した膨大な建築書を収集し、実測調査と平面分析に基づく大工技術の発展過程の解明、世界的にも注目されたセビリア万博の日本館での安土天守6、7階の復元にみられる安土城等に関する研究、古地図を史料として現代地図に投影し、重層化して分析する手法による歴史的都市デザイン論等、極めて多様である。それらの画期的ともいえる手法と成果は建築学界に大きな影響を与えた。

 日本建築学会でも1993年より2年間副会長を務められ、東工大教授としても1990年から2年間名工大教授と兼任された。退職後、その創立にも尽力された愛知産業大学学長として11年間、大学教育、運営に努力された。

 先生は学問に対してもとても厳しく、ある意味でその情熱が抑えられないほどであった。その真摯な研究態度と集中力は圧倒的なものであった。

 先生自身、まだまだ研究したいことが沢山あると生前述べられていた。しかし、人生には限りがある。先生は素晴らしい仕事を成し遂げられた。そして私たちが多くのことを学ばせていただいたことに深く感謝し、先生の御冥福を祈りたい。