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清家清先生を悼む

仙田 満(昭和39年卒/本学名誉教授・環境建築家)

 清家清先生は2005年4月8日に永眠されました。先生は東京美術学校を経て、1943年に東京工業大学をご卒業後、海軍技術将校で終戦を迎えられ、1946年に東京工業大学助手として任官されました。以後、1948年助教授、1962年教授に就任し、1979年に退官、名誉教授となられるまで一貫して東京工業大学で教育、研究にあたられてきました。東工大を退官後は1986年まで東京芸術大学教授をされ、その後も札幌市高等専門学校校長等を歴任され、多くの教育機関で教鞭をとられました。

 東京工業大学では工学部長、東京芸術大学では美術学部長、そして1981〜82年には日本建築学会会長、1989〜92年には東京建築士会の会長等、建築界で指導的な立場を勤められました。先生は建築家として日本の戦後の建築設計界においても極めて重要な作品を残されました。宮城邸、斉藤邸、清家清自邸等は近代日本住宅建築の傑作です。日本的な感性とモダニズムが融合し、晩年のプリンスホテルまで清潔で切れのよい「清家デザイン」が貫かれました。

 私が大学時代、先生はその清家デザインとユーモアと明るいお人柄で、まさに学生にとってスター教授でありました。私は先生が講義の中でスラムの定義として「ただみすぼらしい家がスラムではない。スラムとは壊れたまま、修復しない環境をいうのだ。日本の多くの家はまだ粗末ではあるが、内部は清潔で磨かれているので、決してスラムではない。」というようなことをおっしゃっていたことを、今でも鮮明に覚えています。そこに先生の研究者、デザイナーとしての本質を問う厳しい視点を感じることができました。

 1997年に谷口吉郎展を行う時に、先生に実行委員長をお願いしました。その折新宿の「柿傳」でいろいろ谷口先生と清家先生が若い頃のお話を伺うことができました。先生は東京工業大学の教授として多くの弟子を育てられたことを常に誇りとしておられました。先生は天国で多分後輩の私達をにこにこしながら暖かく見守っているに違いありません。先生のご冥福を心よりお祈り致します。先生ありがとうございました。