すずかけ台キャンパスの耐震改修

和田 章(昭和43年卒/本学教授)
(写真:奥山信一研究室協力)

 衣・食・住は人が生きるための基本である。戦後すぐの生まれなので、この順で満たされてきたように感じる。小学校のころに毎年撮った記念写真を見直すと、皆、パッチのあたったズボンをはいていて、給食の思い出は茶色の豆と脱脂粉乳ばかりが強い。いうまでもなく、幸せや豊かさは、日々の上向きの変化の中から感じる。この意味で、日本全体が豊かになる時期に合わせて生きてきたことは、常に幸せ感に浸っていたともいえる。

  東京工業大学のキャンパスや建物も戦後から65年の間に次々に整備され立派になってきた。入学したころの本館は、壁面に戦時中の迷彩色のための黒いコールタールが残っていて、その前のスロープはススキ野原だったし、本館の南には繊維工学科の実験工場が沢山並んでいた。緑が丘には学生寮があり、建築学科は1967年暮れにここに移ったが、その後、残りの部分の学生寮が大火事になり、今では美しい庭になっている。遠山啓先生らの数学の講義を聴いた第3新館は戦後に建てられた安普請の建物で、すでに取り壊されている。

  1982年に本学に戻ったころ、篠原一男先生が百年記念館の設計を始め、構造を手伝わないかと声をかけて下さった。最終的な構造設計は木村俊彦先生が引き受けられ、今でも世界的な建築として大岡山に聳えている。この場所は、戦争中に作られたコンクリート製の大きな風洞が残っていたところである。学生時代の噂では、零戦の設計に使われたといわれていた。

  すずかけ台キャンパスは学生運動のおさまった1970年代後半から整備され、設計は谷口汎邦先生が進められた。最近では、仙田満先生の設計により、食堂とすずかけホール、超高層免震研究棟などが次々に建てられている。これらには、竹内徹先生の協力も得て楽しく構造設計のお手伝いをした。施工計画にあたっては坂田弘安先生、山田哲先生の協力も得た。超高層免震研究棟はツインタワーになるが、2棟目の工事が昨年末に始まっている。

  地震工学の研究のメッカのすずかけ台の大学院棟(G3)は、かつて小林啓美先生、岸田英明先生らがいらしたが、宮城県沖地震(1978年)以前の設計、翌年の竣工であり、今後の地震で層崩壊の恐れがあるという状況であった。同じように耐震性不足の建物は全国の大学、高等学校、小中学校にも多くあり、これらの耐震性向上は国をあげての重要施策になっている。本学では、新しい取り組みに理解のある施設部の方々を中心に、大岡山およびすずかけ台の建物の耐震改修工事が進められている。

  すずかけ台ではG3棟だけでなく、資源化学研究所、精密工学研究所などの建物も同じ状況にあり、奥山信一先生、元結正次郎先生、坂田弘安先生らとともに耐震改修の設計をお手伝いしてきた。超高層免震研究棟も含め、耐震性の検討に用いる地震動などについて、翠川三郎先生、山中浩明先生の協力も得ている。

  災害はハザード(Hazard、危険を引起す原因)と、これを受ける自然(Natural)そのものまたは人工物(Civilization、文明)の掛け合わせで起こる。一般的な建築物の耐震問題を扱うときには、ハザードとしての地震動を静的な水平力に置き換え、人工物としての建築物にこの静的な水平力を与え、得られる変形量や応力状態によって、耐震性能を測っている。これは、既存建築の耐震診断を行う場合も同様であり、建物の層毎の抵抗力と靱性をもとに、各層の耐震性の過不足を調べ、耐力不足の層には筋違や耐震壁を増設し、靱性不足の場合は柱にカーボンシートや鉄板を巻きつけるなどが行われている。

 

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  この方法は、建物に一方向の静的地震力が作用するという前提で、問題を層毎に分けて考える便利な方法である。しかし、実際の地震時の建物の動きは前後左右に揺れる複雑な振動現象であり、その様子は同じ構造物に一方向の静的地震力を与えた場合ほど単純ではない。いうまでもなく、地震動が異なればこの動きは異なる。特にG3棟のように多層構造で、かつ梁が剛強で相対的に柱の弱い建物では、1995年の兵庫県南部地震で起きたように、特定層が集中的に崩壊する現象が起きやすい。従来の方法で、この層崩壊を防止しようとして各層独立に耐震補強を行うと、全体としては過剰な補強工事になってしまう。完成後の建物の外観も美しくない。

  ここで発想を変え、11階建ての建物全体を極力1次モードで変形させるために、1階から屋上までを通し、脚部をピン支持した剛強なロッキング壁を設置する方法を考えた。ロッキング壁は60cmx440cmであり、壁の自重が約200トンに対し、地震時に生じる曲げモーメントに対してひび割れを生じさせないため、壁の高さ方向に2000トンのプレストレスを与えた。応力度に換算して80kg/cm2の大きな圧縮応力度である。これと同時に、南北方向の耐震性向上のために建物の両側面の妻壁を増厚し壁の幅も拡げた。これによって建物の中央だけでなく、4つのコーナーにもロッキング壁を設置する空間ができ、全体で6枚のロッキング壁を設置することができた。この効果で、地震には常に建物全体が一致団結して抵抗する仕組みになり、全体としても精悍なデザインとして纏めることができた。

  大地震時に建物が例えば1/220の変形を起こすと、同時に変形する壁がロッキング変形し、壁の側面は1cmだけ上下に動く。この両側には既存建物の柱があり、地震時に大きな軸変形は起こさないから、ここに上下方向の相対変形が生じる。ここに、縦方向のせん断変形によってエネルギー吸収を発揮する低降伏点鋼を用いたダンパーを設けた。厚さ6o、高さ1500o、H断面の成350oであり、初期剛性が高く、小さなせん断変形角から塑性化する効率的なダンパーであり、一か所あたり100トンの抵抗力を発揮する。

  新しい構造法による耐震改修を行い、建物は見違えるほど美しくなった。卒業生の皆さまにも是非見に来ていただきたい。

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耐震改修前 耐震改修後
   
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