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 「冬夏会」の由来

 幹事会の席で、「冬夏会」の由来についての話題が出たが、どなたも確かな情報をご存じなかったので、事務局で調べておくことになった。幸いなことに、倉庫の書類の中に、戦中途絶えていた「冬夏」の昭和 32 年5月発行復刊第1号(写真左)が埋もれており、その中に、平林金吾氏(大正5年卒)が寄稿された「冬夏会の思い出」があったので、以下に要約する。

 本学における建築科の創設は明治 35 年 12 月であり、その前身として、明治 23 年から職工徒弟学校の木工科、明治 27 年から工業教員養成所木工科および建築科(同 35 年改称)があった。職工徒弟学校および工業教員養成所卒業生の間には、早くからA会という同窓会があり、本学の建築科ができて、さらに卒業生の活躍の分野が広がると、この他に、蔵前建築会、建築研究会ができたので、これらを一元化した同窓会がつくられた。

 一元化された同窓会には、○○同窓会というかたい名前しかなかったので、親しみやすい会名を全会員にハガキで募集したところ、集まった中に「冬夏」というのがあった。徒然草の「家の造りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪え難きことなり」の段があるが、近代建築の見地からすれば、夏もさることながら,冬への用意も重要であり、冬と夏とに対して万点なる建築であらねばならないという意味で、「冬夏」が提案されたのである。冬夏では、四季の逆順となるとの意見も寄せられたが、ちょうど同窓会の例会が毎月 10 日に催されていたことから、十日会と語呂の通じる「冬夏会」に決定した。昭和7年頃のことであった。

 時松 孝次(昭和 49 年卒/本学建築学専攻 教授)


(写真左:昭和 32 年5月発行復刊第1号、写真右:昭和 11 年6月発行第9号)