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深海隆恒先生を悼む

中井検裕(昭和55年卒/東京工業大学教授)

 都市計画の研究、特に都市の再開発研究の第一人者として長い間ご活躍された東京工業大学名誉教授、深海隆恒先生におかれましては、令和元年9月6日に逝去されました。享年79でした。

 深海先生は、昭和15年大阪市に生まれ、浦和高校を卒業後、昭和34年に東京工業大学理工学部に入学されました。昭和38年に金属工学科を卒業されますが、そのまま建築学科に学士入学され、昭和41年に同学科卒業後、すぐに建築学科の助手になられました。昭和42年に社会工学科が誕生すると同時にそちらの助手に転任され、昭和53年には「中心商業地の施設の構成と歩行者の動きに関する研究」により東京工業大学から工学博士を授与されました。学位論文を含む「中心市街地に関する一連の研究」に対しては、昭和54年度の日本都市計画学会賞(論文奨励賞)を受賞されています。昭和54年には社会工学科の助教授に、昭和63年には同学科の教授に昇任され、平成8年に大学院社会理工学研究科が設立された後は社会工学専攻の教授として、また、平成12年度には社会理工学研究科長を務められました。平成13年に定年退職された後は、社団法人再開発コーディネーター協会などの実務団体で各種委員として、都市再開発の実務の発展に尽くされました。

 深海先生は、計量都市計画学を確立された東京工業大学名誉教授、石原舜介先生に師事され、商店街の近代化や都市再開事業などの都市の中心部を発展させるための理論と制度の研究で多大な実績をあげられました。現在の市街地再開発事業制度の確立にも尽力され、また、実際にも鶴見駅前地区、代官山地区など、多数の再開発プロジェクトで事業の推進と魅力的な施設計画づくりに貢献されました。

 私が社会工学科の4年生として石原研究室に所属した際には、深海先生はまだ石原研の助手で、その頃の先生は、@昼間は研究室の一画で何か難しそうな仕事に向かい、A夕方になるとどこかへでかけ(思うに外部の委員会だったのではないか)、B夜遅く研究室に戻ると翌日のゼミの準備をしている我々4年生をつかまえては自由が丘へ飲みに誘い、Cそのまま研究室に帰ると机かソファで仮眠をとり、翌朝我々が起き出してくるころには@に戻っているという具合で、助教授になられた後はこのパターンが徐々に薄れていったものの、とにかくとんでもなくタフな人でした。研究室はもちろん、現場をとても大事にされ、商店街の角々にまで入り込み、組合や個店の店主達と話をされる姿は、私を含め深海先生の薫陶を得た門下生のその後の都市への向かい合い方を教えていただいたものだと思っています。

 何でも知っている博学の人であり、また、野球、ゴルフ、釣りなどスポーツも万能でした。一見すると恐そうなのですが、実はとても愛嬌のある先生でした。私とは40年間のつきあいとなりましたが、その間ずっと見守っていただいたことは感謝してもしきれません。

 晩年は闘病生活でお疲れになったのではと思います。これからは天国で、石原先生やお仲間と大好きなお酒を心ゆくまで楽しまれ、ゆっくりお過ごしください。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。