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建築学科卒業50年と冬夏会

服部紀和(昭和39年卒)

 2014年は僕達昭和39年(1964)卒の同級生にとって特別な年でありました。
卒後50年、実に半世紀という時間は、過ぎてしまえばまさに“矢の如し”、の一言ですが、一方では、毎年届くこの「会員名簿」を手にするたび、僕達の学年がどんどん前のページへと押し出されて行く事実に、遥々やって来た道程の長さを感じているところでもあります。あらためて先輩諸氏には「東工大建築」の伝統と遺産を授けて頂いたことへの感謝、そして後輩の皆さんには僕達が受け継いできたこの流れを、さらに太く強いものにして頂きたいという思いのするこの頃です。

僕らの生きた時代
 「東京オリンピック」、そして「東海道新幹線開通」という二つのエポックに代表される、我が国が高度成長時代のスタートとなったのが1964年です。その年3月に僕達は卒業、級友の大部分が社会人1年生となりました。以来、1970年の大阪万博、1975年沖縄海洋博等々、国家的イベントに象徴される経済発展と国土開発の勢いは、1990年初のいわゆるバブル崩壊まで続きます。まさに、経済指標のグラフが右肩上がり一途の時代に、僕達世代は居合わせた訳です。かくして第2次大戦後と合致する20世紀の後半50年は、産業と機械文明が極限まで花開いた時代でありましたが、新世紀、ミレニアムを迎えて15年を経過しようとしている今日は、世界的な政治、経済、イデオロギーの混迷と破綻に加え、これも全地球的な気候の変調や大災害が各所で発生、人類がこれまでの延長線上の価値観では乗り越えられない状況下にあります。幸せな時代への感謝と反省を同時に感ずるのが、我が世代と言えましょう。

昭39年組の50年記念イベント
 そんな僕達が迎えた50年目、もともと冬夏会の中でも、まとまりの強いことで有名だった(何かとお祭り騒ぎが大好きな)我ら39年組が、折角だから記念となるイベントをやろうということになりました。それは前後3年、3回におよぶもので、仲間の乗りのよさが判るというものです。
 第1弾は「2泊3日・東北の旅」と名打っての、久々の“修学旅行”。
2012年紅葉真っ盛りの10月に挙行しました。初日は、気仙沼、陸前高田の大震災の跡を、建築や環境を学んだ僕らの眼と足で確かめようとしたものでした。復興は未だ遠しの感でしたが、出会った地元の人たちの明るさに感動を覚えたものです。そして旅の後半は秋田、青森の豊かな自然と温泉を楽しむという、“硬軟”織り交ぜた、ちょっぴり贅沢な内容の記念旅行は、皆の心に残るものとなりました。
 つづく第2の企画は、都心に於ける「記念午餐会」でした。(2013年10月開催)。
当日は、先ず、外部から講師の先生をお招きし「社会人勉強」を行った後、こちらも少々豪華で晴れやかな食事会という二部構成。恩師、先輩にも声をお掛けし、5人の先生方の参加を頂き、有意義で、楽しい一時を過ごすことができました。
 ただ、残念だったのは、当時の教授、助教授の先生方はほとんどが御存命ではなく、当時の思い出話に終始せざるを得なかったことでした。またこの年までに7名もの級友を失ったことにも思いを致し、時の流れを感じないではいられませんでした。

39年卒業記念合同クラス会
 最後は、つい最近の2014年10月18日に開催された「50周年記念同期会」です。入学2年次から、専門課程に別れて以来の同級生が実に50年ぶりに一堂に会するというもので、当日は200人もの参加がありました。卒業時の総数が500名程だったことからすると、これは立派な出席率と言えるでしょう。他学科の同級生と出会い、あらためて東工大には各分野で活躍している素晴らしい仲間がいることを知る機会でもあり、もっと頻繁にこのような場が欲しかったと感じました。同窓の“ネットワーク力”が他の大学に比べ極度に弱い、ということは常に言われてきたことですが、今後は「蔵前工業会」を中心に、学科内だけではなく、全学の連携強化にも取組んで行きたいと痛感した次第です。(後輩の皆さん、よろしくお願いします!)

おわりに
 以上、39年組の活動の一旦を述べさせて頂きましたが、各年とも建築系の仲間のまとまりは良く、外部から羨ましく思われているようです。
 「冬夏会」も先輩諸氏、学内先生方の御尽力により着実に前進していると申し上げられますことは誠にありがたい限りです。
 さて、今般私は幹事長を退任し、バトンを河野晴彦さん(昭50)に受けて頂くことになりました。永い期間、平井会長はじめ幹事各位、会員の皆様には大変お世話になりましたこと、心より感謝、御礼を申し上げます。